どうも、石田です。
繰り返しになりますが、石田は主にラオス、カンボジア、ミャンマーの
3カ国をグルグルと回りながら臨床医療によるボランティアを行っています。
ただ、ボランティアっていうと自分の余った時間、体力、お金を使って
誰か困っている人のために行うっていう印象がありませんかね?
石田的にはそんなイメージが強いので、それと比較して完全にこれを本業としている
今のライフスタイルを一言にボランティアと表現するのは少し違和感があったりもします。
その辺て実際どうなんでしょうかね?
まぁ、自分の仕事をどう定義するのかはさておき、
これらの国でひっきりなしに来てくれる患者さんを診ていると
いつも感じるのが自分の非力さ、無力さです。
ジャパンハートでは年間にたくさんの外来と手術をしています。
それこそ日本ではとても診られないような疾患の方も多いですが、
そういった患者さんが病気が治るたびに大きな充実感を得ています。
ただ、その一方で我々では治療できない病気も結構あります。
例えば内反足といって産まれた時から足の形がおかしい子どもや
化学療法や放射線治療などが必要な進行した悪性腫瘍、
心臓や肺などの胸の手術や脳の手術なんかもできません。
もちろん我々がそういった治療に対して知識や技術が乏しいとか、
発症からの経過年数が長過ぎて治療できないということもあるかもですが、
むしろ大きな理由としてはそういった治療を行うのに必要な
施設や装備、そして専門的な他職種の医療従事者がいないということがあります。
まぁ、当たり前ですけど医師と看護師だけが小さな器械を持って
東南アジアの田舎に集まってみたところで限界があるって話ですよね。
多くの患者さんに治療を提供してはいる一方で、一部の患者さんには
申し訳ないけど何もできなくてお引き取りいただいていることがあります。
それに、もっと言うと治療可能と思って手術を始めてみたら
思わぬ変な病態が隠れていて修羅場の手術になったという例も
いつもではありませんが、しばしば経験しています。
これは先進国のような詳しい術前検査を
ほとんどできないという理由が大きいです。
なかなか全部思い通りってのも大変で、
何回かに1回くらいのミッションでは、
「あぁ、おれの力って結局こんなもんなんだな」
ってヘコむようなイベントが起こります。
石田も医者9年目ですし、多少のことは自分で解決できます。
日本にいる医者よりは専門の深いことは詳しくないかもだけど、
いろんな科のいろんな手術や処置ができるっていう点では
そうそう負けないかなってちょっと自信があります。
それでも結局そんな感じになるんですよね。
まぁ医者なんて所詮、周りの人やモノに支えられて
かろうじて医療やってる程度なのかなって思ってます。
これは何も、途上国に出ないと分からないことでは無いんですが、
日本にいるとついつい自分の専門外の疾患はパスして終了ですし、
必要なら特別な道具もあるので、あまり意識する必要が無いかもですね。
実際短期でお手伝いに来てくださる先生の中には少ないですが、
「何故自分の専門外の病気まで診なきゃいけないのか」と
ちょっと不本意に感じられる方もいらっしゃるようです。
でも、そうやって患者さんからの期待に応えられない度に
毎回とても苦しい思いをしますが、その反面良いこともあります。
それは初心をいつまでも忘れずに済むということです。
常に情報量が少ない中での医療になるのでどんな症状の診察にも
かなり慎重に状況を判断しますし、どんなに簡単そうな手術でも
石田はいつも高い緊張感をもって臨んでいるのです。
初心忘るべからずなんて正論かもしれませんが、
普通に働いていれば事実上不可能ですよね。
いわゆる「キレイゴト」ってやつです。
でも、不確定要素が多い状況を日常とすると
結構忘れずにいられるんだなって思いました。
もちろん医療は不安定要素をできるだけ排斥して
実際の治療に入るのがベストですから、
設備が充実していないことが良いとは全然思っていません。
でも、そうやって自分の中で初心を保ち続けることで
医療に対する謙虚さとか患者さんへの思いやりとか
そういうものが擦れずに心にとっておけると思います。
そして、常に初心に還り続けられる環境のおかげで
本来の自分の夢を見失わず進んでいけるんです。
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